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高松高等裁判所 昭和35年(ラ)38号 決定 1960年7月29日

抗告人 徳永康雄

相手方 徳永香

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告人は、原審判を取り消し、本件を高松家庭裁判所観音寺支部に差戻す旨の裁判を求め、その理由として別紙抗告理由書のとおり主張した。

よつて審究するに、本件記録編綴の戸籍謄本二通の各記載並に一件記録によれば、

(1)  相手方と抗告人とは昭和二十三年三月九日結婚式を挙げ、同二十六年五月四日婚姻届出をし、同年四月二十一日長女ジユン子、同三十一年十月十九日次女雅子を儲けたこと、しかし抗告人ら夫婦は、夫の抗告人が船員で家庭にいる期間が短く、また相手方と夫の両親特に母親らとの不仲のため昭和二十九年ごろから互に意思の疎通を欠ぎはじめ、同三十一年には相手方が次女雅子をつれて実家へ帰り、その後一度抗告人が外国航路勤務からの帰省中、相手方が抗告人宅へ戻り同居したが、やはりうまくいかないので、同三十二年春ごろからまた雅子をつれて別居し、現在に至るものであること、そして当事者の間で離婚話があつたが、まとまらず、同三十四年六月に抗告人から原裁判所に対し離婚の調停申立をしたが、同三十五年三月不調となり、また相手方から扶助の調停申立がなされたが、それも不調となつて本件審判に移行したこと。

(2)  相手方は現在実家で両親の家に同居し、右両親の農地二反六畝歩の耕作と養鶏を手伝つて、その収入をもつて両親と相手方並に右雅子(三歳)の四人の生計をたてているものであるが、相手方親子二人の生活費として、一か月約金七、八千円を必要とすること、そして相手方は、観音寺の三豊女学校卒業後、洋裁修習の半で結婚したものであり、体が弱いのであまり内職もできない情況にあること、

他方において、抗告人は、昭和十八年に目黒の通信学校を卒業して、神戸市所在の大同海運株式会社の無電技師として外国航路に乗船し、現在に至つていること、(もつとも途中で一度同社を退社したことあるも、昭和二十四年再入社したもの)そして抗告人は二人の子供のうち長女(小学校三年生)を自ら養育しているものであり、休暇は年に一、二カ月であつて、その間だけしか相手方との共同生活ができない情況にあり、相手方は従来婚家では夫の両親や夫の弟夫婦と同居して、家業の呉服商を手伝つていたものであること、抗告人の収入は月平均金三万五千円であつて、その扶養家族は、両親二人と相手方らの妻子三人の計五人であるが、両親の方は父が呉服商を経営しているので、事実上の援助は必要でない状況にあることが認められる。抗告人は、抗告人らが相手方を冷遇した事実はなく、生活費も昭和三十一年六月から同三十二年十一月まで毎月平均金三千円の割合で支給してきたものであり、二女の雅子が産まれてから後は一度も同棲したことなく、相手方の一方的な気ままな行動によつて別居しているのである。要するに抗告人は決して離婚を欲しているものではなく、相手方の無思慮と我儘な性格によつて、婚姻を破たんに導き、結果的にいつて相手方が抗告人を遺棄し去つたことになつたのである旨主張するけれども、抗告人と相手方との婚姻関係に破たんを来した原因は前認定のとおりであつて、特に抗告人主張のような事由によるものとも認められず、したがつて相手方が抗告人を遺棄したものとも認められないから、抗告人の右主張は採用し難い。以上の説明によれば、相手方は扶助を要する状況にあることは明らかであるから、抗告人と相手方との婚姻関係は事実上破たんしているとしても、未だ右婚姻が継続しているかぎり、抗告人は相手方を扶助すべき義務がある。そしてかような事態にあつて、相手方としても必要な生活費を全部抗告人の扶助に頼るのは適当でない。相手方もできるだけ収入の途を講じて自分達の生活をたてるよう努めるべきである。以上のような事情を考合すると、抗告人は相手方に対し扶助義務の履行として相手方の必要とする前記生活費のうち一カ月金六千円宛を支給するを相当とする。それ故、抗告人は本件扶助申立の日の後である昭和三十五年五月一日から相手方との婚姻を継続しかつ別居している間、相手方に対し、一カ月金六千円宛の金員をその月の末日までに(同三十五年五月分は同年六月十日までに)原裁判所に寄託して支払うべきものとする。

以上認定の範囲において右と同一結論に出た原審判は相当であつて、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし、抗告費用は抗告人の負担とし、主文のように決定する。

(裁判長裁判官 谷弓雄 裁判官 橘盛行 裁判官 荻田健治郎)

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